もし今日が最後の日だったら?

篠田です。

先日、ある動画を観ました。

「今日が最後の日だとしたら、何がしたいか」


ライフネット生命のFacebookページより)

ある家族が「今日が最後の日だとしたら、何がしたいか」を考え、実行し、そして思いを綴る。

たった5分ほどでまとめられた動画ですが、とっても考えさせられるものでした。

当たり前過ぎて愕然とする?

やりたいことが見つからない・・・
最後の日なのにメッチャ普通・・・
いいのかな?

実際に考えてみて、もしかしたらそんな風に思うかもしれません。

でも、それはきっと錯覚です。
人は、最後の日を何か特別なことがおこるように感じているだけです。

でも、実際に特別なことなんて起こりません。
あるのは、日常の延長にある毎日です。

だから、出てくる普通のやりたいことを大切にしてほしいなと思います。

最後にしたいことなんてそうそう出てこない

結局、動画に出てくる家族がしていたこと、それは日常とさほど変わらないものでした。

チョット意識してすればすぐにできることです。
それはそうだろうと思います。

今日が最後の日だったとしても、そんな特別なことをしたいと思うわけじゃないんです。
思うことは日常の大切さ、そして日常の楽しさです。

家族との日常があり、それを楽しいと思えるなら、きっと最後の日も家族と一緒に迎えたいだろうと思います。

逆に、家族との日常がなく、その楽しさを理解していない人は、きっと最後の日は何をしていいかわからないだろうと思います。

最後だとしても

最後の日、やりたいことをやれてとっても楽しかった。
これでもう思い残すことはない。
さようなら。

・・・

・・・

・・・

んなわけあるか!

やりたいことをやれたからもう満足なんてそんなこと、あるわけないんです。
もっともやりたいことが日常と変わりなく、そしてそれをすることができたならば、思うことは一つ。

「明日も続いてほしい。」

僕は、昔、胸に腫瘍がみつかったことがありました。
そのとき、「あっ、俺はもう死ぬのかな・・・」なんて考えました。

人生のエンディングを意識して思ったこと、それは「ずっと家族のために一緒にいてあげたい。」ということでした。

だから、この動画に出てくるお父さんの言葉にとても共感しました。

 

人生の最後の日なんて、普通は意識するものではありません。
そして、もしもやって来たとしてもそれは本当に突然やってきます。

だからこそ、こうやって最後にしたいと思うこと、みんな考えてほしいんです。

そうしたときに、本当に大切にしないといけない「日常」が見えてくるのではないでしょうか。


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篠田 厚志

理事長 / おやこヒッチハイカーファザーリング・ジャパン関西
三児の父親。安定の大阪府庁を退職し、NPOの世界へ。 父親の子育てはやれと言われてやるもんじゃなく、できる仕組みを作ることが大切。「父親の子育てをヤバくする」をミッションに活動するファザーリング・ジャパン関西の理事長を務める。[⇒詳細プロフィール]