座右の銘はいきあたりバッチリだった。長女が生まれてテレビカメラマンの仕事を辞めた。主夫をしながらなんとなく次の仕事のことを考えた。僕は娘を預けていた保育園で、我が娘はもちろん他の子どもとも遊ぶことで自分が赤ちゃん、幼児が大好きなことに気づいた。次は子ども関係の仕事をしたい。当時の僕が思いついた仕事は保育士だった。というか、子ども関係の仕事は保育士しか思いつかなかった。映画館でアルバイトをしながら通信教育で2年半勉強して保育士資格を取った。

保育士資格をとってからファミリー・サポート・センター(ファミサポ)の会員登録に出向いた。ファミサポとは、会員同士で子どもをあずけたりあずかったりする市民の助け合い事業。社会福祉協議会が運営していたセンターでは会員同士を紹介したり、あずけあずかりのコーディネートをする。登録に行った時、ちょうどコーディネーターに欠員がでたところだった。入会説明をしてくれた職員に誘われて臨時職員の面接を受けコーディネーターになった。採用され、週2回映画館、週3回は社会福祉協議会で働くことになった。

ファミサポの仕事を始めて2年目、「子育てパパ力検定」が開催された。当時は検定試験が流行っていた。「京都検定」「スイーツ検定」「仮面ライダー検定」など、ありとあらゆるジャンルの検定試験が花盛り。その中に「パパ検定」もあった。全国5箇所の会場で受験した1000人のパパの中に僕もいた。成績はとってもよくて、「スーパーパパ」の称号をいただいた。 僕はその検定を主催した団体に興味を持った。NPO法人ファザーリング・ジャパン。「笑っている父親を増やす」というミッションを掲げる日本で最初の父親支援NPOだった。

子育てをメインに生きていた僕はこれを自分のための団体だと思い、すぐに入会した。その半年後に関西の会員が6人になり、ファザーリング・ジャパン関西(FJK)として任意団体を立ち上げることになった。合言葉は「笑ろてるパパがええやん!」。FJKは初年度から兵庫県の父親支援事業を受託することができた。僕は映画館とファミサポを辞め、ファザーリング・ジャパン関西オフィスの職員として働きはじめた。

それからファザーリング・ジャパン関西をNPO法人化して初代理事長になったり、相方の事務局長が亡くなったり、英語幼稚園の日本語教室の講師の仕事をもらったり、いろいろなことがあった。そして2年前、あるご縁から小規模保育園の園長になった。

なんとなく、映画館でアルバイトをしながら保育士資格の勉強をしていた当時の想いの方向に進めていると思っていた。まさに「いきあたりバッチリ」なんじゃないかと。振り返れば全てはご縁とタイミングに乗っただけで、自分でがんばったり意思を持って選択したりしたことは少なかった。保育園を園長職は事情があって1年で辞めた。今はこれもご縁をいただいて別の保育園で働いている。

この2年、自分が笑ろてるパパだったかと振り返ると、そうではなかった。「いきあたりバッチリ」は主体的でない自分への言い訳だったのかもしれない。その通りに生きていたら笑えなくなっていたことに気づいた。いい加減未来を計画して動く時期。家族のために稼ぐこと、自分の得意で社会に貢献すること、そして自分がやりたいことをできる環境を作ること。3兎を追う。今年で45歳になる。人生の折り返しとしてがんばっていいタイミングだ。


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和田 憲明

和田 憲明

副理事長 / マジックパパファザーリング・ジャパン関西
マジックパパ代表、主夫。娘の誕生を機に主夫となり保育士資格を取得。FJKでは初代理事長、現副理事長を務める。特技は手品、趣味はSF・特撮・アニメのオタク系パパ。 [⇒詳細プロフィール]