「娘さん、おあずかりしています。byI」
8年前の秋晴れの平日18時、バイトから帰ると玄関のドアに張り紙がしてあった。誘拐ではない。書いてくださったのは同じハイツの3軒隣りの女性Iさん。当時幼児2児の母親で専業主婦の女性だ。長女は小学2年生。
慌てて3軒隣りに迎えに行って女性にお礼とお詫びをした。学童保育帰りに長女がピンポンしにきたそうで。そのとき長女は女性にこう言ったそうだ。「ひとりでさびしいからいれてください」。
長女は1年生から学童保育に通っていた。帰りはたいてい仲のいい同級生のAちゃんと一緒に帰ってきて和田家で過ごしていた。2年生になって慣れてくると、一緒に帰る日が減った。Aちゃんにも別にやりたいことができたり、他の子と遊びたいときが増えたのだ。当時の僕はアルバイト主夫。たいていは長女の帰りと同じくらい17時過ぎに帰るのだけど、たまに18時を過ぎることもある。
そんなこんなで夕方一人で過ごすことが増えた2年生の秋、長女は3軒隣りをピンポンした。そして自分で事情を伝えて交渉して、幼児の2人いる家庭で一緒に過ごさせてもらった。そのお宅とは特別仲がよかったわけではない。専業主婦の母親とも玄関先ですれ違ったら会釈を交わす程度。s正直、張り紙に戸惑ったしIという署名にも戸惑った。「なんで?」って。
そのまんま長女に聞いた。「なんでIさんとこピンポンしたん?」。「だってAちゃんおらんし、パパもおそいってゆってたし」。「それはわかった。なんでIさんとこなん?」。「だって、あそこのママいつも家にいてはるし、やさしそうやったから」。
『やさしそうやったから』その長女の観察眼に間違っていなかった。Iさんは「さびしかったらいつでも来てください。家にいるときは大丈夫です」と言ってくださり、その後家ぐるみの付き合いも深まって、和田家のビニールプールにIさん家の2人の幼児に遊びにきてもらったり、Iさん家の子どもが小学校に上がったときは、毎朝一緒に登校を見送ったりした。
その2年後、長女は小学4年生、うららかな春の17時過ぎ、ホームで電車待ちをしていた僕の携帯に見知らぬ番号から着信があった。出ると長女だった。「あ、パパ、今日家のかぎ忘れたから、Bちゃんの家におるわ!」「わかった、ちゃんと挨拶しいや」電車が来たのでそこで電話を切って僕は電車に乗った。見知らぬ番号はてっきりBちゃんの親の携帯だと思い込んでいた。
その晩、長女に聞いた。「あの携帯、Bちゃんのお母さんに借りたん?」「なんで?」「お礼の電話せなあかんから」「ちゃうで。犬のおばさんに借りた」
へ?
長女の話によると、家について鍵がないのに気づいて、家の前をいつも犬を散歩させて歩いているおばちゃんに借りだんだそうだ。「かぎがなくてパパに電話したいのでケイタイかしてください」と。恐ろしい子!
僕は慌てて着信履歴に電話した。お詫びとお礼をした。電話口のその女性は笑声で「お気になさらないで。娘さんのお役に立ててよかった」と言ってくださった。長女に聞いた。「なんで犬散歩のおばさんに借りようと思ったん?」「だって、あのおばさんいつも散歩してはるし、優しそうやったから」
『優しそうやったから』は長女のキラーワードのようだ。翌5年生のときは酷寒の真冬に鍵を忘れて、持ったばかりのガラケーから当時事務所に勤めていた僕に電話をしてきた。僕の帰りを待つ間、隣りの家のご夫婦の車の中ですごさせてもらっていた。隣りの家のご夫婦は、親の許可をもらっていないのに長女を家に上げてはいけないと判断してくださったのだ。
長女の観察眼は今だに間違えたことはない。現在中三の長女はふてくされた思春期の受験生。だけど、今も優しい人たちに助けられて日々を過ごしている。

和田 憲明

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