※「水戸黄門が印籠を出します」これをネタバレと感じられる方にはこの記事はネタバレです
ガッツポーズをしている自分に気づいた。場所はシネコンの小さなシート。映画のクライマックス、主人公の反撃が始まる場面であのテーマ曲がかかった瞬間だった。
その映画は『クリード・炎の宿敵』。『ロッキー4・炎の友情』の30年ぶりの続編だ。30年前、14歳の僕はロッキー4をバカにしていた。4だけじゃない。ロッキーの続編全てをバカにしていた。以下は14歳の僕のロッキーシリーズへの評価だ。
ロッキーの1作目は素晴らしい。アカデミー作品賞にふさわしい映画だった。2は1とほとんど同じ映画。最後にロッキーが負けるか勝つかが違うだけ。ほとんどストーリーも覚えていない。3はめっちゃわかりやすい話。かつてのライバルが味方になって負けたロッキーをまた勝たせる話。
そしてロッキー4だ。時は冷戦の最中、アメリカvsソ連のボクシングによる代理戦争。戦うマシンであるドラコと野生児のロッキー。ものすごくわかりやすい対比。この映画を見た同級生が興奮気味に話していたのを覚えている。「すげえ!ドラコのパンチは2150ポンド。普通のボクサーの倍!!」それを聞いた僕の心はこうだった。(キン肉マンですか?1000万パワーvs95万パワーみたいな。幼稚すぎる……)。
当時の僕はスポ根嫌いの白けた14歳だった。僕の興味はスターウォーズに始まる最先端の映像の中で複雑な設定を語るSF映画にあった。それらに比べてロッキーは幼稚でバカな映画だと思っていた。30年後の今、当時の自分の胸倉つかんで教えに行きたい。「幼稚なんじゃない。単純化したんだ。エンターテイメントとして観客に楽しんでもらうための演出なんだよ!」って。
44歳の現在、素直にクリードに感動している自分がいる。クリードも単純だ。ロッキーシリーズのお約束で映画はすすむ。負ける→特訓する→勝つ。いや、お約束という言い方はやめよう。これはもはや様式美だ。2時間だけロッキーの様式美に酔いしれる。ストーリーが熱くなれば自分も熱くなればいい。それだけで至高の映画体験が待っているのだ。
ロッキー4を復習する必要はないし、クリードの一作目を予習する必要もない。ロッキーシリーズのおぼろげな記憶がちょっとだけあれば大丈夫。30年前に熱くなった人も白けた人も、クリードを観に行くべし。ロッキーのテーマと共に思春期の熱さを取り戻せることを保証する。

和田 憲明

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