最後の最後まで使い倒してる?

みなさんは、モノが完全に使えなくなるまで使い倒したことってありますか?

壊れる前、使えなくなる前に新しく買い替えていませんか。

僕はですね、先日のブログにも書きましたがホンマに使い倒す方です。
(壊れる前に買い替えるのがゼロとはいいませんが)

 

特に、洋服関係は徹底的に使い倒します。

Tシャツは、普段着として使えなくなったら寝間着として使います。

使い続けて、襟がボロボロになってほつれが生じてきたら、ウエス(掃除などで使う布切れ)として使い、ボロボロになってようやく処分する。

そんな感じです。

いまだに結婚前に買ったシャツとか使ってます。
結婚した年に買ったデニムは、穴はあいてますがいまだ現役です。

 

あとは靴ですね。

靴の底がはがれて、履きにくくなっても履きつづけ、しまいにはに穴が空いて、何もかも靴の中に入ってしまって履けなくなるまで履き倒します。

妻と出会った年に勝った靴は10年ほど履き続けていました。

なぜそんなにまで使い倒せるのか?

モノを買うとき、フィーリングだけで買ってもいいことはあまりありません。

なぜならモノが手に入ったことで満足してしまうからです。

僕はモノを買うとき、買ったモノを使っているシーンを想像し、それが来年も続けられるかどうかを考えています。

なので、購入するときはメッチャ時間かかります。

いろんなアイテムを見て、費用を見て、販売に関わってくれるスタッフの様子を見て、そのうえで長く使えるものかどうか・・・要は「飽きずに好きでいられるか」どうかを吟味して買うんですね。

そうすると、結果的に買ったものは長く使えるようになるものです。

そうやって購入するとですね、物事への愛着は格段に上がります。

モノは自分で選ばないとダメ!

服や靴の購入を妻に任せっきりだったりする人もいますけど、あれはホンマにやったらアカンことですね。

どんなモノが好みなのか?
どんなモノが似合うのか?
どんなモノが欲しいのか?

そんなもの本人しかわからないし、本人しか合わせられないんですよ。

人からもらったものというのは、概ねもらった時点で満足します。
いや、むしろ人からもらったものには常に若干の不満すら生まれています。

これは「プレゼントの経済学」という本に書かれていたことですが、もらったものは、自分で選んだものより相対的に価値が下がる傾向があるそうです。

だから、自分の服も靴も、身につけるものは基本的には自分で買うべきじゃないかと思います。

単なる消費から価値ある消費へ

すべてのものをあれこれ吟味して買え、というつもりはありません。

それこそ消しゴムひとつ選ぶのに何十分もかかっていては時間の無駄です。

言いたいのは、消費というのは目的があって行われるものだということです。

以前は、消費そのものが目的になっていた時代もあったと思います。
でも、今はそうではない。

そうではなくて、これほどモノに溢れた時代だからこそ、本当に大切で必要なものを、きちんと買うことを意識していくべきじゃないかなと思うんです。

子どもたちに、消費の大切さというものを教えるためにも、ね。

 

などとかっこよくまとめはしましたが、ひと言でいうと、長持ちっていいですよってはなしです。

長く使うってお金もかからないし愛着もわく。
なんか自慢できるようになる。

とにかくおすすめです。

 

以上、スーパーやらコンビニやらに溢れ帰ってる食品の山を見て、どこからこんなにでてくるのかチョット不安な篠田でした。

 


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篠田 厚志

理事長 / おやこヒッチハイカーファザーリング・ジャパン関西
三児の父親。安定の大阪府庁を退職し、NPOの世界へ。 父親の子育てはやれと言われてやるもんじゃなく、できる仕組みを作ることが大切。「父親の子育てをヤバくする」をミッションに活動するファザーリング・ジャパン関西の理事長を務める。[⇒詳細プロフィール]