高校2年生の文化祭でスカートを履いた。当時流行っていたバラエティ番組内で男性タレントがやっていた「のり子」の仮装だ。僕は女子たちに囲まれて寄ってたかって仮装させられた。セーラ服を着せられ、パンストを履かされ、分厚い口紅を塗られた。そうして出来上がった自分は、かなり可愛かったそうだ。当時の僕は童顔で、体毛もまだ薄かった。何人もの男子から「彼女になって」と告られた。
その仮装で高校の周りを練り歩いた。いろいろな仮装キャラクターがいる中、男子で女装をしていたのは僕だけ。その中でいちばんの記憶は「スカートはスースーする」だった。あまりにも無防備、あまりにも風が通る。下を向いてスカートを履いていると視認しなければ、何にも履いてないんじゃないかと錯覚する。スースーするスカートを履いた自分は女子だった。歩き方もズボンを履いている時とは変わった。スカートの前で手を重ねておずおずと歩いた。女性は普段こんなものを履いて歩いてるんだという内面からの驚きが、通行人や同級生という外部からの視線よりも強かった。だからあんまり恥ずかしくなかった。
格好は気持ちに影響する。自分はあの一回の仮装だけでちょっと女心がわかったような気がしている。そんなことを書くと妻からは「女の複雑さをナメないで」と絶対言われるのだか、それでも経験していないよりは遥かによくわかったと思う。あのときスカートを履いていなければ今より遥かによくわかっていないはず。これでもマシになったんです。
ここで言う女性の気持ちとは、女性個人というよりも世間一般から期待されている女性像の中で生きる女性と言う意味。世間にはいろいろな人がいる。男性女性、おじさんおばさん、男子女子。幼児だって女性に期待するものと男性に期待するものを分けている子はたくさんいる。たとえばおしとやか、たとえば綺麗、たとえば唇ぷるぷる。みたいな。
結婚して16年、主夫になって15年。妻との関係や地域の女性との関係に高校2年生当時の仮装の経験は役立っている。男性のまま女性の中に入る。主夫だからといって女性化、おばちゃん化できているわけではない。自分は男性のままだ。男性のまま女性の輪の中に入る経験は、男性の身体のまま女性の服を身にまとうことに似ている。
夫は一度スカート履いてみると妻のことが少しわかるかも。でも妻本人に「わかった」とは決していってはいけません。
和田 憲明
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