篠田です。
FJKはというと、2010年に団体が立ち上がり、なんだかんだでもう6年になります。
立ち上げ時は6人でした。(そのとき僕はいなかったんですよね)
3年経ってメンバーは20人を超えて、人を直接雇用ができるようになって、より自分たちがコミットメントしやすい形を実現するために独立しました。
そうして、今、3年が経ち、メンバーは80人を超えました。
こうしてみると順調な6年だったように見えるかもしれません。
スタートからの波瀾万丈
法人化に動き出して、予定どおり4月1日に登記をしました。
4月からすでに回すべき仕事があり、誰の目にも順調なスタートだったように映ったと思います。
そんななかでの初代事務局長の井岡和海さん急逝の報。
あのときはホントに意味が分かりませんでした。
大混乱の引き継ぎ劇
井岡さんが逝去して、当時仕事についていなかった(というと語弊があるけど)僕が、事務局長の職を引き継がせていただくことになりました。
4月からの運営だったので、まだまだ事務は整理されていませんでした。
まぁ当然と言えば当然です。
なので、役割は引き継ぎましたが、事務は作り上げたといっても過言ではないかもしれません。
走っているものをひとつひとつ拾い上げ、状況をまとめて可視化する。
あれはハンパない作業でした。
拡大する事業と範囲
法人化2年目以降、少子化対策の一層の強化が図られることになりました。
おかげで自治体も事業に動きだして、僕らの出番も多くなり、企画そのものを作り上げる機会も増えました。
また、ファザーリング・ジャパン「関西」と地域名を冠していますが、活動範囲は関西のみならず東京、名古屋、岡山、鳥取、山口、香川など、全国的に広がりを見せはじめました。
これは、ファザーリング・ジャパン関西にしかできないことが、少しずつ確立されてきたということだと思っています。
これが実現できているのは、専従を置くことによってノウハウの蓄積と共有、それによる「企画力」の強化を図れたのひと言に尽きます。
うちの企画マジヤバいです。
続いていく団体へ
法人として2年間のスタートアップ期を経て、FJKは次への舵取りをきりました。
任意団体の頃からなら4年です。
最初から代表を努めていた和田初代理事長からのバトンを受け継ぎ、僕は2代目理事長に就任しました。
理事長が交代するというのは簡単ではありません。
理由はいろいろです・・・。
僕は、団体は継続つまり必要とされ続けることがとても大事だと考えているので、トップの交代は非常に意味のあることだと思います。
次の世代にうまく引き継いでいくことができれば、団体は間違えなければきっと、ときを超えて必要とされ続けるに違いありません。
FJの10年のなかでうまれたFJK。
僕たちを応援してくださったみなさんの、期待に応え続けていくためにも、これからも自分たちのあるべき姿を忘れずに、活動を継続させていきたいと思います。

篠田 厚志

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