1匹の柴犬、首に巻かれた赤いリードの鮮烈さ、犬のあとを追いかける少女の横顔。
映画を観て蘇った映像は、現実の記憶だった。
木村拓哉と二宮和也W主演で話題の映画『検察側の罪人』を鑑賞中に、脳天を殴られたような衝撃を受けた。
私が衝撃を受けたのは映画の本筋からではない。ある登場人物が自分の動機を語るほんの1シーン。
『岐阜レモネード事件』の体験談。
その登場人物はその事件の体験から自分の人生が変わったと語った。
『岐阜レモネード事件』は現実にあった『和歌山カレー事件』がモデルだ。
私は『和歌山カレー事件』の現場にいた。
私もこの事件で人生が変わった。
和歌山カレー事件が起きたのは1998年和歌山市内、地域の夏祭りで。
お祭りのカレーに毒物が入れられ、それを食べた複数の人が亡くなった。
被疑者の家の周りを100人以上の報道陣が取り巻いて、その報道陣に向けて被疑者がホースから水をかけていた映像を、30代以上の方は覚えていると思う。
私も水をかけられている映像の中にいた。
私は当時、テレビプロダクションで報道カメラマンをしていた。
事件が起こったのは8月下旬、被疑者が逮捕されたのは10月上旬。
その2ヶ月の間の述べ2週間ほど、私は他の報道陣といっしょに被疑者の家の周りで待機していた。
和歌山市内の住宅街。その一角を占拠した報道陣の集団。
新聞記者、雑誌記者、スチールカメラマンそしてテレビカメラマン。
脚立に座ったり、お尻の下に新聞紙やシートを敷いたり、それぞれ工夫をして長丁場の報道現場を過ごしていた。
いつ警察が来てもいいように。
いつ劇的な場面が起こっても、取材・撮影ができるように待ち構えていた。
私が現場に入ってから7日目、近くの田んぼのあぜ道に咲いた彼岸花が印象的な時期だった。
その朝もホテルから現場に出発し、夜の当番と交代して現場に入った。
テレビカメラを三脚に据えて、その横のシートによっこらしょと腰を下ろした。
その直後、私の前を1匹の柴犬が通った。それを追いかけて、赤いリードをつかんだ1人の少女が通った。
オレンジ色の半袖シャツに、膝丈のデニム、黒いスニーカーを履いた小学校高学年くらいの女の子。
その少女の横顔を見た瞬間、私はものすごく気持ちが悪くなった……。
気持ち悪さの正体は、その場ではわからなかった。
これから書くのはその後よくよく考えて見えた正体です。
当たり前のように住宅街を占拠する報道陣。
でもここは住宅街。少女が犬を散歩させるような平和な街だった。報道陣が押しかけるまでは。
報道陣には報道という仕事がある。仕事のためにこの場所にいる。
でもその場所は普通の住宅街。
その中に何の疑問も持たずに当たり前のようにいた自分を客観視してしまった。
気持ち悪さの正体は罪悪感。
それを犬を散歩させている1人の少女を見た瞬間に感じた。
事件も仕事も罪悪感も記憶から遠ざかった5年後に、私は長女を授かった。
初めて抱っこした長女はとても小さくて、弱々しくて、可愛かった。
その瞬間に、なぜか和歌山事件の出張先での衝撃が蘇った。
住宅街を占拠していた自分、犬の散歩、100人の報道陣の中の一人。
その中で犬を散歩させている少女が、目の前の赤ちゃんの将来と重なって見えた。
その少女を撮影していたわけではない。
だけど、まるで撮影でもしていたかのように、私の頭には映像として焼きついていた。
犬種も赤いリードも少女の服装も横顔も。
報道現場のカメラマンは私が居なくても替わりはなんぼでもいる。
でも、この赤ちゃんの父親は自分しかいない!
この子の元を離れて2週間、和歌山の事件現場のような場所に行きたくない!!
報道や刺激的な映像よりも、日々の生活を大切にしたい。
私がカメラマンの仕事を辞めて家事育児が中心の生活になったのは、和歌山で目にした犬を散歩させている少女への罪悪感からだ。
かつての職場、かつて所属していた業界を否定するわけではない。
マスコミ批判が意図ではない。それはそれで意味のある仕事だ。
それでも感じてしまった罪悪感に、私の人生は変わった。
和歌山事件から20年、長女を授かってから15年。
私の人生を変えたこれらのひとつながりの出来事もまた、私の記憶から遠ざかっていた。
それが、一本の映画のほんの1シーンの、主人公でもない登場人物の数秒の語りで鮮明に蘇った。
記憶が蘇り、自分の動機も蘇った。
私は、日々の当たり前の生活を大切にする。
子どもが当たり前に犬を散歩させられる日常を。これからも。
和田 憲明
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